沿革
1995年、ロビン・リムは家族とともにバリに移住しました。一番下の子供を自宅で出産してから、多くの地元の女性たちが助けを求めてくるようになりました。
村の助産師の伝統はなくなり、多くの女性が高額な病院での出産を余儀なくされていました。ロビンと彼女のチームは、自分たちが住んでいる小さな村で産前から産後に渡る母子看護を提供し始めました。
当時、インドネシアの産婦死亡率は高く、ロビンのチームは助産師の手法に基づくケアでこの問題に対処できると考えていました。出産時看護に対する需要の高まりを受け、ロビンのチームはウブドの近くのニュクニンという村に小さな診療所を開くことを決めました。
それから20年、ブミセハットは需要の高まりととともにサービスの範囲を拡大し続け、今では総合的な産前・産後ケア、産院、小児科、そして家族全体への薬の処方を行うまでになりました。
やがてクリニックは最初の施設では手狭なほど大きくなり、2017年11月からはニュクニンに建てられた耐震構造の建物に入っています。その大きさは以前のクリニックの約4倍ほどもあります。
2004年12月にインド洋で起きた地震と津波の被害の中、ブミセハットのチームはいち早く対応にあたりました。自然災害の後はきれいな水や食べ物は手に入らず、避難所もほとんどないため、妊婦は特別な対応を必要とします。ブミセハットのチームは災害後の母子看護のエキスパートとして活動しました。
ブミセハットはインドネシアのアチェ州に二番目の健康教育と出産のためのコミュニティセンターを設立しました。